”一年の 早や行き過ぎて 除夜の鐘”
いつものお寺の前の掲示板にあったご住職の俳句です。
文字通り、一年が終わって除夜の鐘がなっている、という事実を叙事的に
述べている感じ。
作者は聖職者なので、時が過ぎるという自分ではどうしようもできない
事象を、静かで自然な気持で受け入れているように感じます。
普通の人なら、
”今年はあれもしたかったけど、これもしたかったけど、結局できなかった”
と残念な気持ちで除夜の鐘を聞くことが多いのではないかと。
少なくとも自分はそう思う。
そこで、
”一年の 早や行き過ぎし 除夜の鐘”
私なら、一文字変えたい。
”過ぎて”はあまりに自然的でありすぎる。
一方、”過ぎし”の場合は”し”によって、一年の終わりを残念に思う気持ちが込められるように思います。
自然な気持ではなく、ものにしがみつくような哀れな気持ちが出るように思います。
自分にはその方がぴったりくる。
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